わきまえないカレーの食べ方
確か、安倍晋三氏が総理大臣だった頃によく使われた単語は「忖度」で、今回の森喜朗氏は「わきまえる」ですか。そうですか。両方とも暗に「余計なことを言わずに黙ってろ」という権力を笠に着た連中が弱者に圧力をかける使い方をされている。よって、腹が立って仕方がない今日この頃である。
話題を変える。昔の話だ。私がまだ新卒でピカピカの社会人1年生だったころの頃、上司と2人で営業同行していた。得意先との長い商談を終えて昼食を取ろうという話になり、そのとき近くにあった適当な喫茶店に入ることに。彼(上司は40代前半の男性である)がカツカレーを注文したので、じゃあ私もと同じものを頼んだ。雑談をしたり商談内容を手帳に書いていたら、店員が「お待たせしました。」とカレーを運んできた。じゃあ食べましょうかと、手を合わせて「いただきます」をしてからスプーンを手に取る。食べる。可もなく不可もない普通のカレーライスである。強いていうなら、上に乗っているトンカツが薄くて揚げすぎなのか固くなっているくらいか。専門店でもないし、こんなもんかと黙々と食べていると、
「あのさあ。」
と彼に声をかけられた。そのまま言われる。
「カレーライスの食べ方ってわかる?」
「…はい?」
すいません。何を仰りたいのかわからないのですが。
「こうやってご飯をカレールーの方に寄せつつ、食べていくんだよ。じゃあ食べ切った時に綺麗になるでしょ。」
そう彼がスプーンを使ってご飯を寄せながら言うので、私は自分のカレーライスを見つめる。真ん中あたりにあるカレールーと白ごはんの境目を攻めていくのが私の食べ方だ。あとご飯は右側、ルーは左側と決めている。半分くらい食べていたので、皿の上はそれなりにゴチャゴチャとした様子になっている。
「ほら、こうした方が綺麗でしょ。皿を洗う側の気持ちになってみたらいいよ。」
彼の皿の上はとても綺麗なもので、ご飯に追いやられていたルーが皿の上に微塵も残ることなく食べられていた。
「そうですか。うーん、でも私はこうやって真ん中から食べるのが好きなんですよね。ありがとうございます。」
私はそう言った。何回かご飯を寄せて食べてみたけれど、なんとなくしっくりこない。そのまま食べる。最後はもちろんスプーンで出来る限りこそぎ取って食べた。皿はお湯でざっくり洗ってからどうせ食洗機かけるし、カレーを食べる人が全員あのような食べ方をしているわけでもないでしょ。当時はそう判断した。
はあ。とため息をついたのは彼だった。
「せっかく教えてあげたのに何なの。」
半ば吐き捨てるように言われたその言葉と、彼の不愉快さを隠すような笑顔が忘れられない。そこから非常に、非常にありがたいお説教が始まった。新卒のくせに生意気だ。上司の忠告を受けないその態度は何?、そんな性格で社会で生きていけると思うな。ほら、女の子なんだから可愛げがないと。いや、だからさ、君のことを思って言ってあげてるんだよ。わかるでしょ?、俺だって怒りたくない。わきまえなよ。
わきまえなよ。
「…すみませんでした。」
やっとの思いで、私がそう言うと、ようやく満足したのか、テーブルに備え付けてあった爪楊枝を手に取り、歯茎に挟まったらしい何かを取り始めた。そんな様子を見ながら、私は胃の中でグルグルし始めたカレーをどうにか収めるのに必死だった。吐きそうだ。
そういうわけで、私は人前でカレーライスを食べるのをなるべく避けるようになった。もしくは私と同じように好きに食べる人の前でしか食べない。今では「まぁそのときくらい面倒なことになる前に、上司の言うこと聞いておけばよかったかも」とか色々と思うことはあるけれど、同時に「カレーライスくらい好きに食べさせろよ」とも思う。実際のところ、カレーライスの食べ方のマナーってそんな、一般的なものになってるのだろうか。
あれから数年経ったけど、未だにわからない。でもこれだけは決めている。もしも、またあの上司に会うことがあって、もしもカレーライスを食べることがあったら笑顔で好きなようにガツガツ食べてやると。わきまえてたまるか。