ロールキャベツはトマト味

不定期更新になりました

たかがレシピされどレシピ

食べることも料理をすることもこよなく愛する私であるが、同じくらい好きなのが「食べ物に関する本を読むこと」である。我が家の小さな本棚には入りきらないほどのレシピ本や食器本が詰め込まれており、その隣に置いてある手提げ鞄を見てみれば図書館から借りた、これまたレシピ本やエッセイがどっさりと入っているといった様子である。

レシピ本は写真が多いので(もちろん文章だけの本もあるが)、パラパラと眺めるだけでも楽しい。完成品の写真だけをドンと1枚だけ載せた本もあれば工程写真を細かく載せているものもある。どちらも面白い。

そういえば、料理が苦手だという友人からこんな話を聞いたことがある。

「苦手を克服しようとレシピ本を買ったはいいけれど、手順の文章が複雑すぎて意味がわからない!」

そう嘆く友人から渡された本を開いてみると、とても煌びやかで美味しそうな完成品の写真が1枚載ってあるタイプのレシピ本で、ほうほうと思いながら読んでみた。材料欄に既にAやらBやらのアルファベットが色々と振ってある。不穏な気配。手順欄に目を移すと「2にAを加えて水分がなくなるまで炒める」のような文章がずらり。どこか数式のようなものを感じるレシピ。文章が異様に長くなることを懸念してアルファベットや数字を使っているのはわかるが、比較的料理慣れしている私でさえ目をあっちに向けたりこっちに向けたりしてようやく理解できるものだった。友人にはもっと難しく感じるに違いない。

友人がこのレシピ本を開きながらキッチンでうんうん悩むのを想像する。そして、このレシピ本の向こう側でライターやフードコーディネーターが紙面や画面を前にうんうん悩むのを想像する。人に伝えるって難しい。

最近は料理動画のサイトもかなり充実してきているし、友人ももっぱら本ではなく動画派のようである。確かに動画の方が文章や写真よりも情報量が多いしわかりやすい部分もあるだろう。その分、レシピ本の需要も少しずつ減ってきている気もするのが少し寂しい。

私は本を読んで、頭の中で調理手順を想像するのが好きなのだ。ある意味では、ファンタジーを楽しんでいるといっても過言ではない。たかがレシピ、されどレシピ。その伝え方、楽しみ方、活用の仕方も様々である。そのうち眼鏡をかけたら料理手順がパッとわかるような何でもレシピ眼鏡が開発されるのかもしれない。