ロールキャベツはトマト味

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ネタがない餃子

記念すべき10本目の記事だというのに、早速ネタ不足である。書こうと思えば、高校生のときに親にどん兵衛を食べられて本気で泣いた話や、フラッと立ち寄って買ったスコーンが美味しかった話など書けるには書けるのだが、いかんせん、こう、書こうと思えるような強さがない。あぁ、ネタがない。ネタがない。漫画家や作家は普段どのようにしてネタ不足を乗り切っているのだろうかとスマホで調べていたら、あっという間に1時間くらい経っていた。

ネタがないといえば、世の中の食事作りを悩ます1つが「メニューを考えること」だったように思う。要は、「ご飯のネタがない」状態である。そして私もよく悩まされている。毎日の料理とは冷蔵庫の中身と、自分の食べたいものや準備にかかる時間を考え、時には買い出しも行き、必要な調理器具を揃えてやっと出来る作業のことで、それが毎日、毎年、何十年も続くとなるとウンザリもするだろう。そしてネタ不足にもなるだろう。あぁ、ネタがない。ネタ、ネタ、ネタ。ひっくり返せばタネ、タネといえば餃子、餃子のタネ。そうだ、今日は餃子を作ろう。

適当なひき肉を冷凍庫から取り出し、適当な葉野菜が冷蔵庫にないかとゴソゴソする。今日はキャベツがあったからそれを使おう。餃子の皮とニラを買いに行こう。ついでに牛乳と食パンも買っておこう。他に買うものあったっけな。

さぁ、スーパーから帰ってきました。何故かお菓子や菓子パンがいくつか買い物袋に入っていることについては目をつぶっていただきたい。

米と水を炊飯器にセットして、冷凍庫から取り出してひき肉はまだ硬いので電子レンジの解凍モードにかけておこう。それでは、早速餃子作りに取り掛かる。キャベツとニラはザクザクとみじん切りにして塩を軽く振って混ぜておく、しばらくするとしんなりしてくるので、親の仇かというほど渾身の力でギュウギュウと絞って水気をきっておく。あとは適当にひき肉やら塩胡椒やらニンニクやらを混ぜて餃子のタネの出来上がり。さて、包むかと皮をよく拭いたテーブルに並べていると夫が帰ってきた。なんという良いタイミング。

私が元気よく「今日は餃子です!!」と声を張り上げると夫が「イェーイ!包みましょう!」と同じくらい大きな声で応えてくれた。

 

未体験ゾーンのチョコレート

「今年のバレンタインデーは高いチョコレートです。3500円しました。」

帰宅した夫にチョコレートの入った紙袋を渡してそう告げると、夫は素直に驚いた顔をした。

「もらってもいいの?」

「いいです。でも私も半分食べます。」

まだバレンタインデーではなかったので、食べるのは後にして早速中身を見てみようという話になった。うやうやしくチョコレートの箱を取り出し、テーブルの上に置く。そっと箱を開ける。うおぉ。と夫が驚嘆の声を出す。

「すごく綺麗。」

チョコレートと同じくらいキラキラとした瞳の夫を見ながら私は、そうでしょうそうでしょうと得意な顔をしておいた。そこから、気が済むまでスマホやらミラーレス一眼レフカメラやらで撮影を行い、飽きるまで色んな角度で見た。すでに楽しい。

バレンタインデー当日。夕食を終え、食器を片付けてからチョコレートを食す儀を執り行うことになった。せっかく高いチョコレートを楽しむのだからと、たまにしか飲まない高い紅茶もきちんとポットで淹れることにした。テーブルにお皿と紅茶をセットして完璧。さぁ、食べましょうと夫に声をかけるとキッチンで包丁に熱湯をかけていて「温めてから切ると綺麗に切れます」と説明してくれた。この人、本気だ。

夫が綺麗に半分にカットしてくれたチョコレートの断面をまじまじと見る。外側、内側、底部に色んな状態のチョコレートが入っているのが見える。真ん中にあるのは生チョコレートだろうか。箱に添付されていた各チョコレートの説明書きを見ながらいざ実食。このチョコレートはピスタチオとトンカ豆のものらしい。さぁ、高いチョコレートのお味やいかに。

「美味しい…!世界!」

これは私の発した言葉である。あまりにも美味しくて目からキラキラが溢れるかと思った。口の中で広がる香りの豊かさに驚いた。香水の香りの変化を最初から順に、トップノート、ミドルノート、ラストノートと表す用語があるが、チョコレートにも香りの変化があることを初めて知った。口に入れたときや、舌の上で溶かすときに口の中で広がる香り、喉を通ったあとに鼻に抜ける香りが違う。最初は、グッとチョコレートの苦味を感じるような香りで、次第にピスタチオの風味が強くなり、飲み込んだあとの香りは、その2つが合わさったような余韻のある香りになる。それでいて味も香りもスッキリと終わる。なんじゃこりゃ。とても美味しい。1粒で豪華な作品になっている。味も素晴らしく、ピスタチオの濃厚な旨味を感じながらチョコレートを舌の上でゆっくりと溶かしつつ食べるひとときは、心がほぐれてとても贅沢な気持ちになれた。高いチョコレートが好きな人はこの時間がきっと好きなのかもしれない。

この歳になっても新しく楽しい体験ができるものだと教えてくれたチョコレートだった。そして、高級チョコレートの美味しさを知ってしまった今、新たな沼に入ってしまいそうで少しだけ怖くも感じている。来年はどこのチョコレートを買おうかな。

世界が広がるチョコレート

世の中には、「高いチョコレート」というものがある。相場はわからないが、ボンボンショコラ1粒300〜500円あたりを超えてくるといわゆる「高いチョコレート」であり「高級チョコレート」といわれる部類に入るらしい。へえ。

「でも、私には関係のない話ならぬ関係のないチョコレートだ。」

と、高級チョコレートの存在を認識してから、はや数年、聞くところによると、どうやら「高級チョコレートは大変美味しい」らしい。そして「チョコレート沼」や「チョコレートオタク」と呼ばれるものも存在し、「推しショコラティエ」もあるそうな。

「それは興味深い。」

そう思っては見たものの、「高級」と頭にドッシリと付いている「高級チョコレート」は庶民の私にとっては手が出しにくい。どこかの石油王がホイッとプレゼントしてくれないかな。もちろん、してくれるわけない。うむ、ならばどこかのチョコレートオタクと「バレンタインにチョコレートを交換」してみるのはどうだろう。自分のために高級品を買うのは、やや抵抗があるけれど、人のためならプレゼントだからと楽しく買えるのではないか。よし、近くのチョコレートオタクを探そう。

「チョコレート?好きだよ。バレンタインに1〜2万円くらい課金してる。」

いた。なんなら探さなくてもいた。私には、甘いもの好きな友人がいるのだが、「もしかしてチョコレートオタクなのでは…?」と声をかけたらビンゴだった。話はサクサク進み、予算と交換する日程を決めてその日は終わった。

次はチョコレートを求めて買い出しにいかねばならない。なんとなく自分の中で「初めて買うならここがいい」と決めておいた洋菓子店に向かう。チョコレートが目玉商品の店でショーケースにはブラウニーやショコラテリーヌ、ガトーショコラから始まり、生ケーキコーナーにはオペラやチョコレートタルトもある。どれにしようか目移りするほどである。ええと、予算はこれくらいだから、チョコレートボンボンで予算に合うものがあれば買おう。あった。これにしよう。

チョコレートと目が合った。

そこにあったのは小さな箱に収められているチョコレートボンボン。宝石かと思うほど美しく、ライトに照らされてキラキラと控えめに輝いていた。動揺した。

「チョコレートってこんなに綺麗なの…?」

私、こんなチョコレート今まで知らなかった…!そりゃあオタクと呼ばれる人も出てくるよ!だって綺麗なんだもん!しかも食べられるとか!一粒で2度美味しいじゃん!そんなことを心の中で叫びながら、私は気づけば

「あ、これもください。」

と12粒3500円のチョコレートボンボンセットを夫と自分用に1つ購入したのだった。(続く)

理想の食パンの焼き色

毎日の朝食は大抵食パンとミルクティーで済ませている。「あと5分」と頑なに粘り続ける自分を無理やり布団から引き剥がし、ベッドからなんとか這い出てキッチンへ向かう。トースターに予熱を入れ、電気ポットでお湯を沸かす。マグカップを出したら水を飲み、ついでに飲むヨーグルトも一気飲みする。大体むせる。マグカップをわざわざ洗うのが面倒なので、サッと水で濯いで紅茶のティーバッグを1個もしくは2個放り込んで砂糖も適当に入れる。甘めが好きなので基本はお砂糖多めで。ついでに職場に持っていくタンブラーにほうじ茶のティーバッグも入れておく。そうこうしているうちにトースターの予熱がそろそろ出来ている頃合いなので、食パンにその日の家にあるもの(チーズとか)を適当に載せたりして焼く。お湯が沸いたら紅茶とほうじ茶を淹れる。

こんなところが私の朝のルーティンである。あと30分早起きすれば色んなことに余裕があるのだが、それが出来れば苦労しないのだ。

さて、ここからが本題である。トースターで焼かれている食パン。その焼き色の話だ。私はかなりしっかり焼き目をつけたい派である。できれば食パンの面全体が食パンの耳くらいのきつね色になるのが望ましい。ほとんど焼き目がつかないくらい浅く焼かれた食パンだと「トーストした」という感覚にならないので、そういうときはもう一度焼く。しっかり焼く。たまに家族に「ついでに私のも食パン焼いといて」と焼くことがあるが、大体の場合あとで「焼きすぎでは…?」と言われる。そんなことはない。カリカリに焼くことこそがトースターの務め。さぁ至高のカリカリトーストを食せ。カリカリのパンの耳は最高ですよ。そんなふうに反論すると渋々といった様子でパンを齧り始める。私はご満悦な顔をしている。

私もたまには薄めの焼き色にしてみようかと思ってはみるのだが、そう思うだけで毎回しっかりと自分好みの焼き色にまでしてしまうのだ。

あなたの焼き色、どんなかんじ?

 

 

チキンタツタを食べる日常

チキンタツタ。マグドナルド期間限定メニューのチキンタツタ。美味しいですよね。わかります。あの厚めのバンズとフライドチキン(タツタ)のジャンキーな味がいい。今度はレモンの方も食べようと思う。

さて、昔からマグドナルドに行けば、ほぼ100%とも言っていいほど「てりやきマックバーガー」(以下てりやき)を選んで食べていた。というより、それ以外の選択肢を知らなかったと言ったほうが正しい。初めて、てりやきを食べたときにあまりにも美味しくて「こんなにも美味しいものが!?」と驚いて以来、ずっとてりやきを食べている。似たような感覚でミスタードーナツに行けば「オールドファッションとチョコレートリング」、丸亀製麺に行けば「ぶっかけうどん(冷)」のように、ほぼ固定メニューを選ぶ人生だった。何故そうなのかはわからないが、なんとなく「ここでは、これを食べるものだ」という勝手なマイルールを作っていた。今考えると本当に意味がわからない。まぁ選択をあらかじめ決めておくのは時間の節約にはなるし、期待通りの味を味わうのはハズレを選ばないということでもあるのだが。

「え?マクドの期間限定メニュー食べたことないんですか?もったいない!」

そう言われたのは去年のことである。今までずっと、そういう期間限定メニューとかメニュー開拓をしたことがないと職場の同僚に話したらこう返ってきた。

「なんで?なんで?てりたま美味しいですよ!他にもメガマックとかダブチとかベーコンエッグとかあるじゃないですか!」

なんで?と言われましても私にもわからないのだ。なんとなくそういう風になってしまったというだけで。

「えー!てりたまとか美味しいですよ!あとね!新メニューとかは食べると楽しい!」

楽しい。なるほど。

というわけで、たまに気になる新メニューがあったら積極的に買ってみることにした。生まれて初めて食べたてりたまはとても美味しかったし「おぉ、私は今、期間限定のものを食べている!」という高揚感も得られた。あと「期間限定メニュー食べたけど美味しかったよ!」と何気ない軽めの話題にすることが出来るのもいい。そして、そういう会話は大抵楽しい。

 

「てりたま、初めて食べたけど美味しかったよ。教えてくれてありがとう。」

そう同僚に言うと、

「でしょー!!!」

と満面の笑顔と共に元気な声が返ってきた。

 

 

わきまえないカレーの食べ方

確か、安倍晋三氏が総理大臣だった頃によく使われた単語は「忖度」で、今回の森喜朗氏は「わきまえる」ですか。そうですか。両方とも暗に「余計なことを言わずに黙ってろ」という権力を笠に着た連中が弱者に圧力をかける使い方をされている。よって、腹が立って仕方がない今日この頃である。

 

話題を変える。昔の話だ。私がまだ新卒でピカピカの社会人1年生だったころの頃、上司と2人で営業同行していた。得意先との長い商談を終えて昼食を取ろうという話になり、そのとき近くにあった適当な喫茶店に入ることに。彼(上司は40代前半の男性である)がカツカレーを注文したので、じゃあ私もと同じものを頼んだ。雑談をしたり商談内容を手帳に書いていたら、店員が「お待たせしました。」とカレーを運んできた。じゃあ食べましょうかと、手を合わせて「いただきます」をしてからスプーンを手に取る。食べる。可もなく不可もない普通のカレーライスである。強いていうなら、上に乗っているトンカツが薄くて揚げすぎなのか固くなっているくらいか。専門店でもないし、こんなもんかと黙々と食べていると、

「あのさあ。」

と彼に声をかけられた。そのまま言われる。

「カレーライスの食べ方ってわかる?」

「…はい?」

すいません。何を仰りたいのかわからないのですが。

「こうやってご飯をカレールーの方に寄せつつ、食べていくんだよ。じゃあ食べ切った時に綺麗になるでしょ。」

そう彼がスプーンを使ってご飯を寄せながら言うので、私は自分のカレーライスを見つめる。真ん中あたりにあるカレールーと白ごはんの境目を攻めていくのが私の食べ方だ。あとご飯は右側、ルーは左側と決めている。半分くらい食べていたので、皿の上はそれなりにゴチャゴチャとした様子になっている。

「ほら、こうした方が綺麗でしょ。皿を洗う側の気持ちになってみたらいいよ。」

彼の皿の上はとても綺麗なもので、ご飯に追いやられていたルーが皿の上に微塵も残ることなく食べられていた。

「そうですか。うーん、でも私はこうやって真ん中から食べるのが好きなんですよね。ありがとうございます。」

私はそう言った。何回かご飯を寄せて食べてみたけれど、なんとなくしっくりこない。そのまま食べる。最後はもちろんスプーンで出来る限りこそぎ取って食べた。皿はお湯でざっくり洗ってからどうせ食洗機かけるし、カレーを食べる人が全員あのような食べ方をしているわけでもないでしょ。当時はそう判断した。

 

はあ。とため息をついたのは彼だった。

「せっかく教えてあげたのに何なの。」

半ば吐き捨てるように言われたその言葉と、彼の不愉快さを隠すような笑顔が忘れられない。そこから非常に、非常にありがたいお説教が始まった。新卒のくせに生意気だ。上司の忠告を受けないその態度は何?、そんな性格で社会で生きていけると思うな。ほら、女の子なんだから可愛げがないと。いや、だからさ、君のことを思って言ってあげてるんだよ。わかるでしょ?、俺だって怒りたくない。わきまえなよ。

 

わきまえなよ。

 

「…すみませんでした。」

やっとの思いで、私がそう言うと、ようやく満足したのか、テーブルに備え付けてあった爪楊枝を手に取り、歯茎に挟まったらしい何かを取り始めた。そんな様子を見ながら、私は胃の中でグルグルし始めたカレーをどうにか収めるのに必死だった。吐きそうだ。

 

そういうわけで、私は人前でカレーライスを食べるのをなるべく避けるようになった。もしくは私と同じように好きに食べる人の前でしか食べない。今では「まぁそのときくらい面倒なことになる前に、上司の言うこと聞いておけばよかったかも」とか色々と思うことはあるけれど、同時に「カレーライスくらい好きに食べさせろよ」とも思う。実際のところ、カレーライスの食べ方のマナーってそんな、一般的なものになってるのだろうか。

あれから数年経ったけど、未だにわからない。でもこれだけは決めている。もしも、またあの上司に会うことがあって、もしもカレーライスを食べることがあったら笑顔で好きなようにガツガツ食べてやると。わきまえてたまるか。

ミルクティーは、なみなみで

「コーヒーか紅茶か。」と問われれば、即「紅茶。」と答えるくらいは紅茶派である。毎朝紅茶を飲むし、好きな茶葉の種類とブランド、好きなティーサロンも言える。アイラブ紅茶。しかし、好きだからといってそこまで味や香りにこだわりはなく、普段はスーパーで売られている大容量パックのものを飲んでいる。もちろん、お高いものも好きだが。

我が家には一応、ガラスのポットもあるけれど、私にとっての紅茶はマグカップに熱湯を適当にダバダバと注いで適当にティーバッグをポイと投げ込んで作るものだ。本当はマグカップを予熱しておくとか、ティーバッグを入れたあとは蓋をして何分か蒸しておくとか、色々しておいた方がいいことはあるのだろうけど基本的にはダバッ、ポイッで淹れるのが私流である。

自分が紅茶派と気付いてから何年経つのかもう検討もつかないが、紅茶に関することで私が夫と暮らし始めてから指摘されたことが1つある。そのときの彼の言葉はこうだ。
「どうしていつもそんなにマグカップなみなみに紅茶いれるの?溢れそうになってるよ?」

え?いやいや普通くらいでしょと、そのときミルクティーを淹れていたマグカップをじっと見る。おおよそマグカップの9割6分くらいは入っているだろうか。ミルクティーの水面が揺れてほんのりと湯気も見える。あぁ、いい香り。早く飲みたい。
「うーん、沢山飲みたいからじゃない?」と答えておいた。全く気にしたことがなかったので憶測でしかないが。
そうかなぁ、と夫が不思議そうに首を傾げていたが、その日の会話はそれで終わった。

そして何ヶ月か経ったある日のこと。休日だったので丸一日家にいて朝昼晩とそれぞれ違うマグカップでミルクティーを飲んだ。それで気づいた。私はマグカップなみなみで淹れるのが好きなのだと。使ったマグカップはそれぞれ大きいもの、普通くらいのもの、小さめのものだったが、きっちりと全部のものにカップの8割ほど紅茶を入れて残り2割弱牛乳を入れてミルクティーを完成させていたのだ。いつのまにか自分の黄金比ができていたらしい。ちなみに1番大きなマグカップは400ccを優に超えるものなので我ながら流石に入れすぎではと反省した。

ならばと、マグカップに合ったミルクティーを作ってみようではないかとやってみることになった。いつもより少なめの熱湯、いつもより少なめの牛乳、うん、これでよし。これならカップを持って歩いても溢れることはないだろう。

……。

家で淹れるときくらい、好きにしてもいいよね?