誰かの羨ましい

去年はあまり何もできていなかったように感じたので、今年になってからあれもこれもと手を出した、お金も沢山出した。海外旅行に行って国内旅行に行ったりして「やるぜやるぜ」と行動しまくった結果、合計で数十万は飛んだ。

おかげで行ったことのない場所に行けたし、10年以上指を咥えて「いいなぁ。」と思っていた技術もほんの少しだが手に入れることができた。明日も少し遠出をして外泊をする。キャンプをするのだ。涼しくなってきたのできっと焚き火も夜の静かさも心地よいだろう。楽しみだ。

だが、その側面で「もう何もしたくない。ダラダラしたい。」とも思っている。自分にとってのイベントを詰め込めば詰め込むほど「あぁ…もう来週が来てしまう…準備をしなければ…。」となり、当日が来れば楽しく過ごし、労働によって魂を削り、また違うイベントを捩じ込む。の繰り返し。

昔はもっと週末に向けて今か今かとワクワクしたし、あれもこれもといくら行動しても楽しかった。それが今では心の底から湧き上がるような楽しさを味わい尽くすことが随分と減ってしまった。若さとは情熱、情熱とは体力。情熱を燃やすにも体力がいる。距離とお金をもろともしない体力が。

しかし、ダラダラしていたらしていたで「私は何もしてない…。」となるのでバランスが難しい。

今の私は去年の私が羨ましい。きっと、去年の私から見て、今の私は好き放題をやっていて羨ましいのかもしれない。

SNSを見て毎日がパワフルで楽しそうな人を見ると羨ましいが、その人たちにとって私も羨ましいのかもしれない。職場で綱渡りをするような緊張感と心細さを感じながら笑顔を作って働く私を見て、他の人たちは「悩みがなさそうで、いつも楽しそうだね。」と言う。

あっ、と一瞬で何処かへ行かないかなと頭の片隅でボンヤリと思い浮かべ、そのまま流す。南極ではあまりの寒さにウィルスさえおらず、氷河の中には何万年前の空気も閉じ込められていると聞いて、とても心がときめいたことがある。ありったけの預金残高を握りしめてそのまま好きなところへプラプラと旅立ってしまいたいと何度思ったかわからない。いつも私は私以外の人になりたいという欲望を理性で剥ぎ取って生活している。

 

KiE