ある九月の憂鬱

朝夕の空気がすこし澄んだものになり、夏の終わりを感じている。

かと思ったら暑さがぶり返すものだから、体調はがたがただ。夏は暑くて生き延びるだけで必死だから、という言い訳が通用しなくなってきた。


九月になった途端ににわかに、来年の手帳や日記帳の話題がやけに目につくようになった。

バーチカル、連用日記、新しいノート、ダイアリー。

うきうきと次の年の相棒を選ぶ人たちを横目に、私はうっすらとした罪悪感に頭を抱えている。一月から心機一転はじめた三年日記は、一ヶ月分をまとめて書くという横暴な所業をいくたびか繰り返したのちに途絶えている。

日々のあれこれを綴るノートは白紙のまま、ブログの更新もずっと途絶えたままだ。


頑張って生き延びてきた今年の私の日々は、どこにも記録されず忘却されるのを待っている。

たまに思い出したように、とりとめのない短文を残すSNSに「つかれた」と記したり、美味しかったパフェの写真をなぐさみにアップロードするだけ。ただ、それだけ。

本当はいろいろなことを覚えていたいのに。一度できなくなると、動けなくなる自分がいる。


昨日はとてもいいことがあった。

走馬灯で流してほしいくらい、特別な想い出になるひとときだった。この忙しくもないのに忙殺される日々で押し流されてしまうにはもったいないような。せめてどこかに残しておかなければ。

久しぶりに有給休暇をとったので、合わなくなった人生の辻褄を合わせる日にすることにしよう。思い立ち、夫を見送ってからまず日記アプリに昨日の余韻をさっとまとめる。書き出してゆくとじんわりと想い出が蘇ってきて、ああ、やはり言葉にすることは大切だなと感じる。


水回りの掃除や、コップの茶渋取りなど、なんてことのない家事を片付けてゆく。そうだ、ジャンパースカートのホックが取れかけていたのも付け直そう。心に余裕がないと、こうしたささくれのような瑕疵がどんどん溜まってゆくものだ。聴きたいと思っていたポッドキャストを再生しながら適当にホックをつける。適当すぎたので改めてやり方を調べてやり直した。やり直す余裕がある喜びよ。


達成感にわくわくする一方で、積み残しているタスクが多すぎて疲れてきたので、一旦休憩。

夫と一緒にやっているピクミンの、難易度が高くてクリアできないステージに挑戦。やっぱり無理だ。ピクミン、段取りを求められるゲームなので、やるようになってから家事のスピードがすこしばかり上がったような気もする。ゲームの完全クリアまではおそらくあと少し。お互いに得意な分野を分担しながらプレイしているので、平和でとてもよい。


そうこうしているうちにお昼の時間が近づいていた。ゲームは諦めよう。

仕事へ向かった夫とランチをする約束をしていたので、てくてく歩いてお気に入りのお店へ。正午になろうかというタイミングで入店したらお店の方が、さっと食べられるように日替わりランチを準備しておきますね、と完璧に思考を読んだ声かけをしてくれた。ありがたや。ほどなくしてやってきた夫と合流し、なんでもない話をする。

非日常だけど、日常。

日替わりランチは今日も今日とて美味しかった。


数日前は秋の気配を感じていたはずなのに、今日はあまりにも暑すぎる。くらくらするような陽射し。名残の百日紅の桃色が青空に映えて美しいけれども、早く涼しくなってはくれまいか。

このまま引きこもってしまってもよかったが、私は有給休暇に無限の可能性を感じてしまういきものなので、買い物に出かけることにした。

一番暑い時間だとは分かっているけれども、ふうふう言いながら電車に乗り、ちょっとした商業施設のある街へ。平日だからか行き交うひとの顔ぶれも違い、なんだか不思議な感じ。お休みっていいな。


目的のお店をいくつか巡るも、あまりぴんと来なかったので買うのは控える。

と、思った矢先に文房具屋さんでクルミッ子コラボの雑貨を見つけてしまい、うっかり衝動買い。私はこのお菓子が味もデザインも大層好きで、以前コラボのロルバーンが発売された折には、職場のトイレでこっそり購入争いに参加してしまったこともある。キャラメルとクルミと生地の組み合わせ、カロリーは美味しいを形にしたような素晴らしいお菓子なのだ。

クリアファイルと缶入りのカードを手に入れてにんまり。ロルバーンと合わせて使おうと思う。


そう、ロルバーン。大好きな方眼ノートをなんでも書き留めるノートとして使っているのだが、最近は日記だけでなくこちらも白紙のまま、一切触れていない。

気に入った柄のものが出るとつい買ってしまうため、昨年度にかなり使い切った在庫はまた膨れ上がっていた。使わなければと思うのに、現状、日記、メモ、ノートの類に罪悪感を覚えるようになっていて。

素敵な買い物ができたのに、ちりりと胸の奥が痛む。


あれもしたい、これも見たいと日常の気になることを消化するべく歩いていたら、だんだん疲れてきた。

疲れ切る前に休むのが吉、と最近ようやく自分を理解してきたため、カフェに入ることにする。冷たい飲み物を頼み、ほっとひと息。


息をついたら、なんだか書けるような気がした。

ためらいながらも鞄に放り込んできていた三年日記を取り出してみる。香水を試させてもらったときのカードを、いい香りだったので栞代わりに挟んでいたので、自然とそのページが開いた。

偶然にもそれは、明日の日付で。

三年日記は、数ヶ月ぶりのあるじの訪を待っていたかのようだった。ふわりと香水が香る。

ページまで開いちゃうなら、書こう。

昨日の素敵な想い出も、今日のなんとなく充実した時間も。すこしの時間だけペンを走らせた。私だけの時間。

たった数行、数日分だけだけれど。

久しぶりに自分の時間を持てたような気がした。そしてその事実は、なによりも私の心を整えてくれた。

来年の私は、空白から突如よみがえった三年日記を見て笑うだろうか。果たして続けていられるのだろうか。

未来のことはよく分からないけれど、たまにはこうして日々のささくれを整えてあげたい。


さほど忙しくもないけれど、忙殺されることがある。

あれこれ言い訳を並べて、毎日が過ぎ去ってゆく。仕方がないこともあるけれど、無理なく想い出を残せるようになれたらいいな。

最後に立ち寄った量販店で、好きな動画で紹介されていた日記帳を見かけていいなと思ったけれど、買うのはとどめておいた。


バーチカル、連用日記、新しいノート、ダイアリー。

この季節は新しい自分になれるような気がするけれど、簡単には難しいことだから。

私は私の、お気に入りとまずは向き合いたいと思う。

そんなささやかなことに気づけた、よいお休みの一日だった。

 

寄稿:ゆのじ様


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