11年前に撮った写真。
部屋の壁一面に自分の撮った写真や好きな写真を貼って「なんちゃってカメラマンごっこ」をしていた。数ヶ月には写真台紙がまるまってしまい(厚みのある紙とはまるまってしまうものである)、全て剥がすことになってしまうのだが。この頃は写真に関する仕事に就くなんて思ってもなかった。そしてそこから更に異業種に転職するなんてもっと思ってなかった。当時の自分が今の自分を見たらガッカリするだろうか。それとも笑うのだろうか。
5年前に撮った(撮ってもらった)写真。友人からパンダのコインケースをもらって嬉しくて顔に合わせて撮ってもらった。とても楽しくてニコニコしながら撮ってもらったのをよく覚えている。このときに着ていたトップスは捨てたのでもうない。撮影場所も前に住んでいたところの近くだったのでもうこの先行くことはないだろう。パンダのコインケースは使い倒してボロボロになり、捨ててはないもののこれ以上使うのは可哀想だと休ませている。
つい最近撮った写真。夏祭りに出かけた時のやつ。サングリアが美味しい。最近の屋台はオシャレな食べ物が飲み物が本当に増えた。ちなみに指には子供向けの光る指輪をはめている(くじ引きで当たった)。来年も行けたらいいと思う。
二つ折りのガラケーからスマートフォンに乗り換えたのは大学生の頃だった。初めて持ったスマホはiPhone。そして今も機種を変えながらもずっとiPhoneユーザーである。中のデータはずっと引き継がれている。1番古いデータだと12年前の写真がすぐ見れるようになっているのが怖いところだ。その写真は大学のときにスイーツ食べ放題に行った時の写真で、私を含め5名の人間が微笑んでいたりピースをしているが、今の私は4人の現在の状況を知らないし連絡先も知らない。SNSはおそらくやってはいるのだろうが探しても無駄だろう。毎日毎日、今この瞬間でさえ現在が過去になっていく。2度と会えない人、行けない場所、体験できないことが落ち葉のように降り積もり、重なって腐葉土のようになり、地面になるのかもしれない。たまに私は私のことがわからなくなる。今現在の私と過去の私は違いすぎるからだ。環境も見た目も人間関係も。そしてきっと、最初からわかっていないのだろうとも思う。私は私がわからない。
KiE