まめは残らない

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毎日、辛いだの腹が減っただの言いながらも労働したり賃金を得たりして日々を引き延ばして生きていた。明日は今日の延長戦であり、今日のダラダラは明日にも何かしらの形で残ることもある。

今の職場が、私の今までの人生で最も長く勤めた先になるのだが、毎日「このままだとやばいよなぁ…。」と思う部分があれば「でも、こういうところは得難いし、同じような条件で雇ってもらえるのは今の年齢と職歴だと難しいかも。」と思うのです。そういえば、この前、読んでいたエッセイで「大好きな仕事を一生このまま続けたい!」といった文章を見かけてギャっと叫んでしまった。大好きな…仕事…?マジで…?マジで…?

新卒で入った会社で上司に「いつか貴方にも30代あたりで仕事が面白くて楽しくて仕方ないみたいな時がくる。」と言われたことがあるが、今のところ1ミリもその気配は訪れない。ちなみにその上司は私が退職した後に色々あったらしく降格と左遷をされた。元気だろうか。あ、私の携帯の電話帳には今もそのまま上司の電話番号が残っているのでそろそろ消さないとと思い、削除した。

そろそろ上の画像の話をする。これは「毎日まめ」というアプリで毎日の気分を記録できるアプリである。去年の9月ごろに、かなり落ち込むことがあり、「今のこの気持ちは一過性のものなのか、恒常的なものなのかを知りたい。あと良いこと日記をつけたい。」のような気持ちから始めて1ヶ月ほど続けていた。先日、ふとこのアプリを開くことがあったので開いて記録を読んでみた。始めた日が確か泣き泣きに泣いてどん底だったはずなのだ。果たして私はどんなことで落ち込んでしまったのか。

日記を開く。ない。なにも書いていない。あるのは悲しみにくれる表情のスタンプのみ。必死に記憶を辿るが何も覚えていない。おそらく、記述を読んで記憶や気持ちを反芻しないように、忘れてしまうように記録をつけないと判断した私はおそらく偉かった。

1年前の悩みなんて覚えていない。というのはあながち嘘ではないようだ。だが、数年前や数十年前の心の傷がいまだに生々しく残っていることもある。とりあえず去年の傷は、なくなったよ。忘れたよ。と過去の自分に声をかけることにした。

 

KiE