ロールキャベツはトマト味

不定期更新になりました

今更だけど文章の書き方入門

 

当ブログは元々、本館の記事を「なんとかしたい。良い文章を書きたい」と思って設立したものである。詳細はこちら(本館)

(食に限らず日常や舞台の感想などを書いているのでよければアクセスしてください。)

 

設立して約半年ほどになるが、まるで成長した気がしない。むしろ悪化したようにさえ思う。

というわけで、同じように「なんかよく分からないけれど文章力をあげたい」という私と似た人たちの為に、改めてこの半年間で学んだことやオススメの本をまとめておこうと思う。あと私が後々になって読み直したいので。

 

はじめに

今から書く「文章力を上げる方法」は、主にエッセイなどの作文に重きを置いたものである。共通することもあるかもしれないが、小説やビジネスメールなどのポイントは書いていない。また、ブログの文章についても書くが、いわゆる「アクセス数を稼ぐタイトルや文章」については特段触れないのでご了承いただきたい。では、スタート。

 

文章力を上げるために読んだ本

他にも色々読んだけれど参考になるなーと思ったのはこの3冊。オススメあれば教えてください。

 

 

文章力を上げる具体的な練習方法

・毎日読書をする

基本的にはこれだけで大丈夫だそう。個人的に思ったのは「プロの書いた文章かつある程度まとまったものを毎日読む」ことが重要で、ツイッターのタイムラインをダラダラと眺めていても文章力には繋がりにくい気がする(報道機関のツイートなどは的確にまとめているものが多いので、タイトルの付け方や文章の要約の仕方の勉強にはなる)。

 

・毎日文章を書く(日記などでも可)

400字程度の文章を毎日書く。毎日書くことで「何を書こうかな」というネタ探しを自分からするようになる。書くことが思い浮かばない場合には「書くことがない」について書けばよろしい。らしい。この辺はこのブログを作ったのでそこそこ出来ていると思う。でも毎日はやっていない…。

・書いた文章を声に出して読む

音読することによって、句読点の正しい位置や文章のおかしな部分に気づきやすくなる。つまり、読みやすさへと繋がるとのこと。全然出来てない練習方法の一つ。同居人がいるのと、音読の気恥ずかしさに勝てないからである。音読ツールを用いて聴いてみるのは出来るかもしれない。

・文章の書き写しをする

名作と呼ばれる作品や好きな文章の冒頭部を書き写しする。パソコンでやってもいいが、ノートに書き写す方がオススメだった。一見、「なんで?」と思うかもしれないが、やってみると良さが分かる練習方法。せっせと書くことで、文章をものすごくゆっくりと読んでいることになるから。料理をゆっくり噛んで味わうのと同じで、句読点や文章のリズムがよくわかる。それに頭の中が、その文章でいっぱいになるので、余計な雑念がなくなって精神的にもかなりよかった。座禅的な効果がある。やっていることは写経と同じだからそりゃそうかもしれないが。

類語辞典を参照する

表現方法を広げよう!そのためには!類語辞典を参照しよう!である。「こんな言葉もあるのか」と勉強になるし、何より「自分の書きたいことの解像度が上がる」のが、類語辞典を使うメリットだと思う。私もブログ書く時やツイートするときに時々使っている。

・文章校正ツールを使う

言わずもがな。文章を校正してくれるツールである。ネット検索すると色々出てくるので使ってみるといいかもしれない。そう、私はまだ使ったことがないのである…。使おうね…。

 

タイトルの付け方

色々と本を読んで参考になるポイントをメモしておいたのでここに箇条書きにしておく。「これが正解!」というものではないし、ここでは、あくまでひとつの「タイトルの付け方」という計算式を書いてあると考えてほしい。みんな違ってみんないい。

・タイトルは真剣に考える

・8割説明、2割で想像させる。

・人物の名称にちなむ

・出来事の舞台を使う

・キーワードやキーアイテムを掲げる

・出来事やテーマを象徴的に表すフレーズを用いる

・どんなタイトルにすれば伝えたい方を1番書きやすいかを考える

 

良い文章を書くための心得

「タイトルの付け方」と同じく本を読んで参考にしたポイントをまとめる。以下、箇条書き。

・何かの賞に応募してみる

・書き終わりを大切にする

・書き出しで印象的な場面を作る。もしくは書き出しの文章そのものに凝る

・「伝えること」を大切にする

・1番書きたい話題をはじめに決める

・日頃考えていること、得意なことを書く

・シーンを書くことから始める

・関係ない事柄でも細部まで書くことによって臨場感がうまれる

 

良い文章を書くための基本

本を読んで(以下略)

・文は短く(60〜80文字以内)

・文が長ければ分ける。

・句読点は意味が伝わるように、打つ位置を考える

・「です」、「ます」と「だ」、「である」の統一をする

・改行は段落を考えて行うこと

・ひらがな、カタカナ、漢字を使い分けること(漢字にした方が読みやすいのか、ひらがなにした方がよく伝わるのか。など)

・書いた文は読み直す

・他の人に読んでもらう

 

ブログの記事について

以前、ライター講座を受けたときのメモが出てきたのでそれを書く。

・サムネイルはとても大事

・誰に書きたいのかを意識する(具体的に考えるとよい)

・料理の写真はとりあえずアップで撮れ

・記事を投稿する時間は22時が良い(インターネットユーザーが1番いる時間帯。また朝の7〜9時やランチタイムでも良い。)

・毎日更新して100個記事を書くと「自分はこういう文章を書いています」と売り込めるようになる。

 

最後に

何冊も文章の書き方について本を読んだが、

『とりあえず「書け」そして「読め」』

というのが、良い文章を書くための1番の近道ということがわかった。わかりたくなかった。なんか、こう、プロだけが知っているとっておきのテクニックとかあるのかと…。そう、思っていた自分が恥ずかしい。頑張ります。

 

ではここで、山田ズーニー氏の言葉を引用してこの記事を終わることにする。

あなたには書く力がある。

「想い」は、目には見えません。悲しい時、ツライ時、胸のチャックをあけて、家族や友だちに見せられたらいいのに、できません。だれにもわかってもらえません。

  そこで、人は、想いをカタチにして人に通じさせます。これが「表現」です。絵でもダンスでも表現できます。なかでも、見えない想いに「言葉」という見えるカタチを与え、引っぱり出して人や社会に通じさせる行為、これが「文章表現=書くこと」です。

  あなたは書くという「想いをカタチにする装置」を持っている。

  書き続けていれば、いつか伝わる!あなたに理解の花が降ります。あなたは、この現実に、自分の想いにそった未来を書いて創っていくことができます。

「あなたには書く力がある。」

  これは表現教育に捧げる私の人生から出た言葉、あなたに一番伝えたい私の想いです。

 

 

おにぎりおにぎり

「これくらいの♪お弁当箱にっ♪おにぎりおにぎりちょいと詰めてっ♪」

誰しもが1度は歌ったことのあるお弁当の歌。その歌を口ずさみながら私はお弁当を作っている。

毎日お弁当が必要な場所に通っているので、自慢できる内容ではないけれど自分でお弁当を作っている。偉い。便利で冷凍食品を利用したいところだが、我が家の冷蔵庫はそこまで大きくないので、作り置き惣菜を休日に大量に作ってお弁当用に取っておくのだ。この前作ったのは確か、小松菜の胡麻和え、茄子の味噌炒め、アスパラガスとウィンナーの炒めもの。

そして、おにぎり。なんといってもおにぎりである。ご飯をたんまり炊いて、梅干しやら昆布やらを入れて、あらかじめおにぎりにして冷凍しておくのだ(冷凍ご飯ならなんとか入れられる)。大きめの三角形のおにぎりが冷凍食品にキチッと並んでいる姿は、なんだか小学生が朝礼などで並んでいるようでとても可愛らしい。おにぎりは食べる時も握る時も楽しいので好きだ。ついつい「おにぎりっ♪ おにぎりっ♪」と歌いながら握ってしまう。固くなりすぎないようにホワッと手で包みつつ、バラバラになるといけないのでキュッと形作る。この塩梅が難しい。はるか昔に、カバンの底でぺったんこになってしまった可哀想なおにぎりを食べたことがあるけれど、お餅とご飯とお煎餅が融合したような味で、なんだか面白かったなぁ。あと子供の頃に父のお弁当におにぎりを作っていて梅干しをそのままギュギュッと詰めたら、それを見ていた父が、

「俺の歯が折れるからタネは抜いてください。」

と笑いながら指摘してきた。ごめんよ、お父さん。あ、高校の時に友達とお弁当を食べていたら、友人に

「どうして、貴方のおにぎりはいつも大きいの?」

と言われ、実家の作るおにぎり(そして私の作るおにぎりでもある)が、とても大きいサイズということに気づいたこともあった。大体お茶碗1個分くらいの大きさのおにぎりです。130〜150gくらいかな。

「えっ、大きいのコレ?なんか恥ずかしい。」

思わず心の内で「今度から小さめのおにぎりにしてもらおう」と心のメモに書いていると、

「ううん。いつも美味しそうでいいなぁって。」

と予想外の言葉が返ってきた。前言撤回。これからも大きいおにぎりと共に生きていこう。

そんなことを思い出しながら今日も私はおにぎりを握る。どうして思い出に浸ってしまうのかはまだわからない。

満腹の花嫁

今まで何回か結婚式と披露宴に参加したことがあるのだが、そのときに毎回思ったことについて今回は書きたいと思う。

「新郎新婦がご飯を食べてない…。」

挨拶や写真撮影で食べる暇がない新郎新婦。そして高砂(新郎新婦前のテーブルのこと)にズラリと並べられた前菜やスープは殆ど手をつけられていないことが多く、ドンドンと並べられ、ドンドンと冷めていく料理を見て「ああっ!もったいない!なんなら私が食べてあげるのに…!」と食い意地ばかりの心が苦しくなることが何度もあった。1度だけ「どうせ食べられないし」と最初から新郎新婦が食事をなしにして披露宴をしていたことがあったが(途中で「お腹すいた」と参列者のケーキをむしゃむしゃ食べていた)、合理的でよかったと思う。

さて、そんな私が色んなことが巡りめぐって結婚式と披露宴をすることになった。並べられる豪華な食事。美しいタイトなドレスに何とか身体をねじ込み、ニッコリする私。コルセットとガードルってすごい。衣装合わせをしてくれたスタイリストさんにコルセットを着せてもらったときに「人間ってハムになれるんですね…。」と言ってしまったくらいすごい。身体の肉を締め付け、ねじ込み、理想的な姿にしてみせるコルセット。ギチギチと音を立ててもおかしくないほどのホールド力。胃袋と肺がやや苦しくなるほどである。今日は結婚式本番、目の前には豪華な食事。

食べた。モリモリと食べた。スタッフの人たちに「私今までこんなに食べてる花嫁さん見たことないです。」とやんわり言われたくらい食べた。そして完食した。最初のスープから食後のコーヒーまで一滴残らず飲み干した。美味しかった…。若干周りに引かれていた気もするが気のせいということにしておこう。だって、もったいないんだもの。美味しいものを目の前にして食べないなんて私のルールに反する。美味しいものを美味しく食べる。それが私の美学である。ふふん。お酒もおかわりしといた。美味しくいただきました。

そんなわけで、披露宴が終わる頃に、私の下っ腹を見てみると、あの強靭なパワーで私のありとあらゆる部分をホールドしていたコルセットが、ガードルが、ま、負けておる。ぽっこりと出た、いや、パンパンに詰まっている下っ腹がそこにある。ギュウとお腹に力を入れてみると、やや下腹が小さくなったが、逆に苦しくなったので早々と諦めることにする。軽く力を入れるくらいにしておこう。頑張ってくれコルセット&ガードル。負けないで、もう少し、最後まで走り抜けて。

ドレスを脱ぎ、コルセットを外したときに私が見た光景を私は一生忘れないだろう。ビッシリと、あの強靭で屈強なゴムで締め付けられた跡が私の身体に深く刻まれていたのだった。

でも、もう一度してもいいくらい楽しかった結婚式と披露宴。きっと私はまた完食すると思う。

マフィンの懐

今日も今日とて、コツコツと焼き菓子を作っている。最近1番にハマっているのはシフォンケーキだが、その次にハマっているのがマフィンである。以前まで「カップケーキ」と呼ばれることの方が多かったような気がする、このケーキはいわゆる「初心者向けレシピ」にデデンと王様みたいな顔で登場する。ホットケーキの次くらい簡単だと思われてそう。ボウルひとつで出来て失敗しにくく美味しい。そしてアレンジも効くのがマフィンの偉いところである。マフィン陛下。

ホットケーキミックスやサラダ油を使って焼く気軽なレシピも好きだが、私が繰り返し作っているマフィンのレシピは森岡梨さんのものだ。バターを常温に戻し、泡立て器で砂糖とすり混ぜながら白っぽくなるまで混ぜる。溶き卵、薄力粉とベーキングパウダー、牛乳をざっくり混ぜたら基本の生地が出来上がるというもの。茶葉やらフルーツやら色々と混ぜて焼いたが、何を入れても今のところ美味しい。ちなみに生のフルーツを入れるとしっとりした食感に、茶葉やナッツを入れて焼いたものはサックリとした食感になるのだが、そのどちらもとても美味しい。

食べてみると、おにぎり1個分くらいのボリュームがあり、1個あたりの大きさもしっかりとあるのもこれまた良い。見た目が可愛いのも良い。さすがマフィン陛下である。臣下の私はひれ伏すしかあるまい。

今まで入れたものを列挙してみることにする。アールグレイ、苺、りんごのキャラメル煮、チョコレート、胡桃、ブルーベリー、マーマレードくらいか。どれも美味しい。コーングリッツを使ったお食事マフィンは未挑戦なので近いうちに是非ともやりたいところだ。そのときはベランダ菜園しているミニトマトとバジルを入れよう。粉チーズやブラックペッパーを入れても美味しそう。なんならベーコンやほうれん草も入れてしまおうか。ホワイトソースを中に入れてみてもよさそう。夢は膨らむばかり。

適当に作っても「任せて!」と言わんばかりにモコモコと膨らんでくれるマフィン、余ったジャムやらフルーツやらをドッサリ入れても「ほい来た!」と受け入れてくれるマフィン。そして、「ね!大丈夫でしょ!」と力強く、その完成した姿を見せてくれるマフィン。マフィン陛下は前世で素晴らしい国王だったに違いない。

好奇心と青梅

私は食べ物に対して人一倍好奇心がある。方だと思う。日々、パン生地を捏ね、ジャムを煮たり、うどんを打ったりしている。商品としてスーパーで売られているものが、元々はこのようにして作られているのかと思うと、もうどうしようもなくワクワクしてしまう。

「スーパーで買えば済むのに」と言われてもわざわざ時間をケチャップを作ったりもしている。手作りならではの味に「ほーん!へー!」と思いつつ、「食品加工の技術ってすごいな!合理的!経済的だな!」とも思う。ものすごく矛盾した作業である。人生とお金の浪費なのかもしれない。でも楽しいし、好奇心には勝てないので今日もせっせとベーコンの作り方やソーセージの作り方を調べていた。そう、今度は燻製が気になるのです。実は味噌も気になるしドライトマトも気になる。ぬか床を育てるのも楽しそうだし天然酵母を起こすのもいいなぁ…。

毎日があっという間に過ぎていく中で、瞬間的に消費されていく情報やエンタメの波に乗れず、自分の唯一の取り柄だった好きなことへのアンテナの感度も下がってしまった。流行っているドラマも映画も見逃し、話題の舞台配信も気づけば終わっている。インターネット is 爆速の情報。

早すぎる。追いつかない。そして半ばあきらめた。あきらめたらポカンと時間ができた。急に暇になった。なら、家のことでもするかと大掃除やら断捨離やらパンを焼くことに挑戦していると、いつのまにか「時間をかけること」に楽しみや贅沢感を覚えるようになった。今までにはなかった楽しさだ。少しずつ発酵して膨らんでいくパン生地に「可愛いねえ〜♡♡♡」と、ハートマークをいくつもつけて心の中で声をかけてしまうし、最近始めたベランダ菜園は順調で、スクスクと育つ姿を見ては「生きてるなぁ。」と胸を打たれる。早くも隠居生活かのような日々を送っているが、「これで良いのだ!」と心の中のバカボンのパパにメガホンを渡し、大音量で叫んでもらう。

話は変わるが、昨日、「青梅 明日に大特売」と書かれたポップがスーパーの棚に貼られていた。梅。梅干し、梅シロップ、梅酒。いいねぇ。いわゆる「梅仕事」は興味はあったけれどやったことのないことの1つだ。ほぅ、楽しそうだな。そう考え始めると、もう止まらないこの好奇心。ワクワクが暴走する。

そんなわけで本日、意気揚々と買ってきました青梅1kg。氷砂糖も瓶も買ってきた。ホワイトリカーも。腕は重いが、胸が躍る。コツコツと瓶を消毒し、チマチマと青梅のヘタを竹串で取り、洗った青梅をペーパータオルで水分を拭き取る。青梅、氷砂糖、ホワイトリカーを入れて梅酒の完成。梅シロップは氷砂糖と青梅だけ。よし、出来た。青梅が少々余ったので新聞をかけて追熟させておくことにする。出来上がった瓶を並べてウットリする。今すぐ食べられない。あ、今の私から未来の私へのプレゼントだと思おう。楽しみ。

少し先の未来、楽しみだなぁ。

お茶漬けサラサラ

家にいる時の昼食は大体、ご飯に納豆をかけて食べるか、冷凍うどんを電子レンジでチンして納豆をかけて食べるか、昨日の夕飯の残り物を食べるかで済ませている。納豆様は偉大である。しかし、最近はもっぱらお茶漬けを昼食に食べるのがマイブーム。もうかれこれ3日連続でお茶漬けを食べている。サラサラと食べられるし普通にご飯を食べるだけよりもお茶をかけている分、量が増えて満足感も上がるし、全てがお茶碗の中で完結するのもいい。ではここで私のお茶漬けレシピを紹介する。

 

用意するもの

・冷凍ご飯

・茶葉

 

以下お好みで

・塩昆布

・ごま

・梅干し

・海苔

・天かす

・チューブタイプのワサビ

・大きめのお茶碗とスプーン

 

①冷凍ご飯をレンジで温める。お茶用のお湯を沸かす。お茶碗を用意する。

②お湯が沸いたらお茶を淹れる。お茶碗に温めたご飯を入れる。

③塩昆布とか胡麻とかを好きなだけトッピングする。ワサビを入れる。お茶をかける。

④食べる。美味しい。

 

お茶に塩昆布のダシがジワジワと出るのが、私は好きなので、たっぷりと塩昆布を入れる。あとワサビもマスト。お茶漬けの素のようなツンとしたあの感じを出すのはワサビなんです。グッと本格的になります。お茶漬けに本格的も素人もないと思うけれども。お茶じゃなくて、だし醤油をお湯で割ったものを入れてもいい。だし茶漬けもこれまた美味い。そして大体何入れても美味い。

 

というわけで、ここにオリジナルのお茶漬けが出来たわけである。いざ、実食。スプーンを片手にグワシグワシとご飯を崩しつつ、トッピングした梅干しやら塩昆布やらを混ぜる。混ぜつつ食べる。美味しい。お茶の香りとほんのりとした苦味の中に塩昆布の塩気やワサビの鼻をつくような香りが混ざって美味しい。完全に混ざり切ってないので、味の濃いところや薄いところがあって、スプーンで宝物探しのように掘り進めながら食べるのも楽しさがあって嬉しい。ここはしょっぱい。ここはワサビが効いていて辛い。ここにはご飯の塊がまだある。茶碗1杯の中にも、味マップのようなものがあり、それが毎回のように変わるので飽きない。私はスプーンを武器にした開拓者なのである。明日はどんなお茶漬けを食べようか。

ちらし寿司と宝塚歌劇

今から10年以上も前の話になる。母が、紙袋いっぱいのビデオテープを家に運んできた。パッケージを手に取ってみてみると、どれもこれも「宝塚歌劇」と書いてあり、濃い化粧をした役者がバンと載っている。なんだこれは。まだ10代前半の私は日々、テレビゲームやら部活動やらに精を出している最中で、「宝塚歌劇団」についてボンヤリとしか知らなかった。なんとなく、「ベルばらのアレ」とか「SMAPがコントで真似してたアレ」くらいの知識はあったかもしれない。失礼な話である。

ふーん、誰から借りてきたの。へー。あの人、タカラヅカ好きだったんだ。親戚の1人で、とても背が高く、いつも髪を短くしているおばさん。スタイルがよく、「シュッとしている」という言葉がよく似合うが、丸顔で顔をクシャッとして笑う可愛らしさとカッコいいが合わさった人。仮にAさんとしておく。

母が「少し興味がある」と、その人に言うと「ならどうぞ。」と大量に渡してくれたらしい。

「それにしてもこの量はすごくない?」

紙袋はパンパンである。持ち上げてみると底が少しばかり膨らんでいるのが確認できた。明らかにキャパオーバー、入れすぎだ。これでは何から見ればいいのか分からないではないか。なんと、ビデオテープだけではなく、パンフレットやビジュアルブックなどの関連書籍も入っている。

「これが面白いらしいよ。」

と母が手に取ったのは、「エリザベート 愛と死の輪舞」であった。忘れもしない。2000年花組公演のものである。

見た。ハマった。借りてきた母よりも私がハマった。毎日のように見た。いや、文字通り毎日見た。歴史絵巻のような壮大な物語に絡められた「死」との恋愛模様、豪華絢爛な舞台衣装、音楽の素晴らしさ。それからというもの、借りてきたビデオは全部見尽くし、本も穴が開くほど読み尽くし、「次は何を借りればいいの?」と、Aさんにねだるくらいにまでなった。オタクの完成である。そんな私の様子を見て、

「よし、ならば連れていってやろう。」

と、Aさんが、私を宝塚大劇場に連れていってくれたのは、そこから1ヶ月後のことである。早すぎる。

高速バスを乗って、電車を乗り継ぎ、いざ、宝塚大劇場へ。と思いきや、

「お昼ご飯を買って行こうか。」

と、駅直結の阪急百貨店に連れて行かれた。あれ?外で食べないの?そう思いながら、ついていく。お弁当売り場の前で立ち止まるAさん、ちらし寿司を買ってくれた。嬉しい。

 

宝塚大劇場へ向かう。入る。

開演。幕間。

 

ガサガサと大勢の観客が、各々買ってきたらしいサンドイッチやらお弁当やらと取り出し始める。私もちらし寿司をいただく、手のひらを広げたくらいの大きさの八角形の弁当には、海老やら錦糸卵やらがギッシリと詰め込まれている。チラホラと見えるイクラも嬉しい。割り箸を割ってパクパク食べた。少し甘めの酢飯がとても美味しい。硬めに炊かれているのかべちゃっとせずに、酢飯を箸で持つとパラっとほぐれるほどだった。煮汁がギュッと染みた椎茸も好きなので沢山入っていて心が弾んだ。あぁ、美味しかった。二幕も楽しみ。

 

終演。

 

初めて肉眼で見た宝塚はすごかった。ビデオでは気づかなかったが、意外とバタバタと足音や人が移動する音がするのだなと思ったことをよく覚えている。そして、ビデオテープで見るよりも100倍以上、華やかで煌びやか、何より、とても美しかった。胸がつまるような感覚を覚えるほど、楽しかった。

 

パック詰めされたちらし寿司を目にしたとき、いつも私は、宝塚大劇場に初めて足を運んだことを思い出す。そういえば、あそこまで「客席内での飲食可」な劇場は宝塚くらいなのでは。