ロールキャベツはトマト味

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弁当適当

転職してから職場に毎日お弁当を持参するようになった。肌寒い季節にはスープジャーに適当なスープを入れる。それとおにぎり。暖かくなってからはタッパーにこれまた適当な弁当を作っていた。それでは適当に作る弁当の一例をここに書いていこうと思う。

まず最初に冷凍ご飯(1膳分)を電子レンジで温める。卵焼き器を火にかけて加熱しはじめる。適当に卵を炒める。だし巻きのようなスクランブルエッグような謎のものができあがる。特に気にせずそのままタッパーに詰める。ご飯がレンジで温め終わったのでご飯も詰める。海苔やふりかけがあればかける。戸棚をガサガサと漁ってみるがない。まぁ仕方ないの冷蔵庫の扉を開けるとシラス干しがあったのでご飯にふりかける。ちくわも発見した。本当ならば磯辺揚げにしたいところだが、そんな時間は1秒もないので手で千切って空いているスペースにこれでもかと詰める。なぜなら私はちくわが大好き。よし、出来た。なんだか色味の薄い大変地味な弁当が出来上がった。お弁当袋に箸と共に包む。個包装のクッキーを見つける。お弁当袋にねじ込む。水筒に麦茶を入れる。

適当な食材、適当な調理の弁当である。しかし私はこの適当弁当を食べる昼休みを毎日心待ちにしているのだ。

朝食に泣く

COVID-19の予防ワクチンを打ってきた。予約もネットで簡単に取れ、接種もスムーズに終わった。ありがたいかぎりである。副反応に備えてスポーツドリンク、ゼリー飲料、冷却シートも前日から買っておいた。なんなら寝込むことも想定して家事はあらかた済ませてある。夫には「看病してください。」と頼んでおいた(快く了承いただいた)。ここまですれば大丈夫だろう。

数時間後。なんだかボンヤリと頭が痛い。頭痛薬を飲む。少しだが熱もある気がする。とりあえず寝る。

接種翌日。起床。なんだか身体がポカポカしていて熱い。発熱だ。身体がダルい。うぅ。もう今日は何もしない。ベッドで1日を過ごすのだ。気が済むまでゴロゴロしてやる。そんなわけでゴロゴロしながらスマホをいじっていると、私よりも早く起きていた夫が寝室にのっそりと現れた。私のおでこに手を当てて「熱いですね。発熱です。」と医師のような口調で診断をした。続いて「何か食べたいものある?食べれる?」と言うので、「朝ご飯食べたい。」と返した。私は朝ご飯が大好き。

しばらくすると、夫がトーストと紅茶(ストレート)が乗ったトレーをうやうやしく運んできた。私はまだパジャマ姿でベッドの上である。はい、どうぞと渡される。ありがとうと受け取る。

「あ!」と小さく叫んで夫が出て行く。今回はすぐに戻ってきた。彼の片手には牛乳パックがある。そのまま紅茶に牛乳が注がれる。私の好きなミルクティーの出来上がりである。

「ゆっくり食べてゆっくり寝なさい。トレーはあとで取りにくるから。」

夫はそういうと寝室から歩いて出ていった。

私は気付けばボロボロと泣いていた。

なんじゃこりゃ。愛じゃん。純度100%の愛じゃん。寝室で朝ご飯とか洋画か海外ドラマくらいでしか見たことない。それを夫がサラリとなんの見返りのなくしてくれたことに感動した。そして身体が弱っていたのと相まって涙腺も弱っていたのかはわからないが、しばらくの間、涙が止まらなかった。世間から見たらただの、なんてことない、豪華でもなんでもない朝食である。だが、私にとってこれほど素晴らしい朝食はない。

春の匂いは故郷の匂い

関西にある、とある漁師町で生まれ育った。例外なく私の父も漁師で祖父も漁師、なんなら隣の家の生業も漁師。更に言えば、同じ学年の1/3が漁師の子だった。町の特産物は海苔とイカナゴイカナゴの漁が解禁する2月から漁船のエンジン音が「ボオォン」と響き、イカナゴを釘煮にしている甘ったるい匂いが町中をすっぽりと包む。イカナゴの釘煮の主な調味料は醤油と大量の砂糖なので、イメージが思い浮かばない方は、みたらし団子や鰻の蒲焼のタレの美しい輝きと匂いを思い浮かべてみてほしい。そして、その匂いが町中に漂っていることも。

「ご飯やで。」と母が呼ぶ声がする。食いしん坊でいつも腹ペコだった私は、やや駆け足で食卓に向かう。おかず、汁もの、白ご飯、そしてピカピカと輝くイカナゴの釘煮。これが実家の春の食卓の定番だった。甘しょっぱくて、あと引く旨さがあるイカナゴの釘煮はご飯にこれでもかとピッタリ合う味で、私はこのゴールデンコンビをパクパクとよく食べた。これが私の大好物。よく食べ、よく育った。

成長するにつれ、大好物のはずだったイカナゴの釘煮や大好きな漁師町に住んでいることが、なんとなく、次第に私の隠れたコンプレックスになった。テレビや雑誌で見るようなスーツに身を包んだサラリーマンの父親は見回してもどこにもいなかった。年中、赤暗く日焼けをしていて、うっすらと海と魚の匂いがしている父親しか私は知らず、街中には映画館もお洒落なファッションビルもなく海と山しかないことに悲しくなった。春になると町中に蔓延する甘い釘煮の匂いも、自分の髪の毛や服に「漁師町の匂い」が染みつくのではないかと少しだけ嫌だった。いわゆる、メディアでよくみる「普通の家庭」に憧れた。典型的なコンプレックスのパターンだ。

そんな私は大学を出て、就職をして、実家を出た。それこそ、スーツに身を包んで営業として働いた。

「やった。これで私も一人前だ!」と頑張っていたつもりだったのだが、慣れない環境に体調を崩して辞めた。

「なんで私はあかんのやろか。」

自分を責めた。なんでやろ。何があかんかったんかなぁ。意気揚々と実家を出たのに、あっという間に帰ってきた私を両親は咎めることもせず、ゆっくりすればいいと受け入れてくれた。少しずつ元気を取り戻して再就職が決まった。それからまた転職をした。恋人が出来た。実家を出た。結婚もした。時々、実家から荷物が届く。そのときに「少ないけど」という言葉と共に必ず入っているのが、イカナゴの釘煮と海苔である。

「ご飯をいっぱい食べてね。元気でいてね。いつでも帰ってきなさい。」

そんな父と母の声が聞こえるような気がする。冷凍庫に入れているイカナゴの釘煮。なんだかもったいなくて少しずつ食べている。炊き立ての白ご飯に釘煮を乗せて鼻を近づけた。春の匂いがする。

トトロのきゅうり

ジブリ映画に出てくる食べ物ってどうしてあんなに美味しそうなのか。「天空の城ラピュタ」の目玉焼きトーストに、「魔女の宅急便」のニシンパイ、「ハウルと動く城」のベーコンエッグ、「千と千尋の神隠し」のあんまん…見るたびに毎回「あぁ、いま目の前にこの食べ物があれば。」と生唾を飲んでしまう。それくらい美味しそうなジブリご飯。あなたはどれが好きですか。

私はなんといっても「となりのトトロ」に出てくるきゅうりを食べるシーンが大好きだ。おばあちゃんが井戸水で冷やしてくれている新鮮なきゅうりにかぶりつくサツキとメイ。サツキが最初にヘタだけをかじってペッと素早く吐き出すのもなんだか手慣れていてカッコいい。あのきゅうりをワシワシと食べる様子を見て、実際にきゅうりを1本用意して食べた人も少なくなかろう。もちろん私もその1人である。この間もトトロを見た時に辛抱たまらなくてきゅうりを食べた。

だが、映画で見たものほど美味しくない。いや、それなりに美味しくはあるのだが、映画の中であの2人が食べているものの方が圧倒的に美味しそうだ。ふむ、なぜだろうかと首を傾げる。口の中はきゅうりの青臭い香りでいっぱいだ。ボリボリと歯応えを楽しみながら考える。

サツキとメイは外で食べているから?おばあちゃんが井戸水で冷やしていたから?それとも新鮮なきゅうりだから?それともきゅうりの品種の違い?

うーんと唸りながらまだきゅうりを食べる。味に飽きたのでマヨネーズやら食塩やらをトッピングして食べる。そういえば、イギリスのアフタヌーンティーにはきゅうりのサンドイッチが定番だが、19世紀当時あちらでは確かきゅうりは超高級品だったらしい。大衆の味方として人気の高い日本とは大きな違いである。

結論が出ないまま、手の中にあったきゅうりを食べ尽くしてしまった。なんとなく納得いかないというか、そこそこは満足したけれど、求めていたのはこれではないというか。

実をいうと、このトトロを見ながらきゅうりを食べるのは3度目である。その度に「もっと美味しいはずなのになぁ。」と、どこか敗北感を覚えてしまう。謎はいまだに解けない。

たかがレシピされどレシピ

食べることも料理をすることもこよなく愛する私であるが、同じくらい好きなのが「食べ物に関する本を読むこと」である。我が家の小さな本棚には入りきらないほどのレシピ本や食器本が詰め込まれており、その隣に置いてある手提げ鞄を見てみれば図書館から借りた、これまたレシピ本やエッセイがどっさりと入っているといった様子である。

レシピ本は写真が多いので(もちろん文章だけの本もあるが)、パラパラと眺めるだけでも楽しい。完成品の写真だけをドンと1枚だけ載せた本もあれば工程写真を細かく載せているものもある。どちらも面白い。

そういえば、料理が苦手だという友人からこんな話を聞いたことがある。

「苦手を克服しようとレシピ本を買ったはいいけれど、手順の文章が複雑すぎて意味がわからない!」

そう嘆く友人から渡された本を開いてみると、とても煌びやかで美味しそうな完成品の写真が1枚載ってあるタイプのレシピ本で、ほうほうと思いながら読んでみた。材料欄に既にAやらBやらのアルファベットが色々と振ってある。不穏な気配。手順欄に目を移すと「2にAを加えて水分がなくなるまで炒める」のような文章がずらり。どこか数式のようなものを感じるレシピ。文章が異様に長くなることを懸念してアルファベットや数字を使っているのはわかるが、比較的料理慣れしている私でさえ目をあっちに向けたりこっちに向けたりしてようやく理解できるものだった。友人にはもっと難しく感じるに違いない。

友人がこのレシピ本を開きながらキッチンでうんうん悩むのを想像する。そして、このレシピ本の向こう側でライターやフードコーディネーターが紙面や画面を前にうんうん悩むのを想像する。人に伝えるって難しい。

最近は料理動画のサイトもかなり充実してきているし、友人ももっぱら本ではなく動画派のようである。確かに動画の方が文章や写真よりも情報量が多いしわかりやすい部分もあるだろう。その分、レシピ本の需要も少しずつ減ってきている気もするのが少し寂しい。

私は本を読んで、頭の中で調理手順を想像するのが好きなのだ。ある意味では、ファンタジーを楽しんでいるといっても過言ではない。たかがレシピ、されどレシピ。その伝え方、楽しみ方、活用の仕方も様々である。そのうち眼鏡をかけたら料理手順がパッとわかるような何でもレシピ眼鏡が開発されるのかもしれない。

 

 

ハゲ富豪

タイトルを見て1人で笑ってしまった。ハゲとはカワハギの愛称である。カワハギとはなんぞ?と思う方に解説しておくと、白身魚でフグとヒラメの間のような食感と味を持つ食用魚だ。カワハギにも色々と種類はあるが、どれも皮が強く、力を込めて皮を引っ張るとビーッと一気に剥がれること(名前の由来)や可愛らしいおちょぼ口が特徴である。たまにスーパーの魚売りコーナーでも見かけるので是非これかと観察してほしい。

さて、このカワハギ、もといハゲ(行儀が悪いのはわかってはいるが、20数年間この愛称で慣れ親しんでいるのでこう呼ばずにはいられない)であるが、私の好物でもある。個人的な好きな魚ランキングのベスト3には余裕で入る。肝が大変美味で、濃厚な旨味とトロリとした食感に甘味まで感じられるのだ。この肝を包丁で細かく叩いてポン酢で和えたものを、刺身と食べるともう美味いのなんの。そばに日本酒があれば最高。なくても最高。ちなみに煮付けも美味しい。そしてそしてハゲの肝は巷では別名「海のフォアグラ」と呼ばれていることをお伝えしたい!それくらい美味しいから!

私がこよなく愛するとてもとても美味しいハゲであるが、私にとっては大衆魚的な認識だった。しかし、決してそうではなかった。海に囲まれて育ち、潮風を浴びながら通学した私にとって魚は「頻繁に出てくるもの」である。「ハゲが食べたい。」といえば2〜3日後には食卓に海から直送のハゲの刺身が並ぶ、そんな家だった。私にとって海は大きな冷蔵庫。

「あ、ハゲが食べたい。カワハギ食べたい。」

そう口に出したのはつい最近、海なし県に移り住んだ私だ。スーパーを探す。ない。違うスーパーに行く。ない。そうなると意地になってくる。なにがなんでも食べてやろうとする気持ちがどこからともなく(主に胃袋ではあるが)ムクムクと湧いてくる。ネット通販で探す。あるにはあるが、小ぶりのものばかりで、私が求めているのはこういうのではない。刺身がしっかりと楽しめる大ぶりのものだ。ない。探してもない。困った挙句、魚屋で働く友人に「言い値で買うから!仕入れておくれ!」と頼み込んで手に入れた。ちなみに2匹で3000円ほどかかった。昔ならタダだったのになぁ…。

なにはともあれ、ようやく手に入った立派なハゲ(カワハギ)である。夫に刺身と煮付けにしてもらう。キッチンが魚の匂いと煮付けの醤油の匂いが混ざった空気でいっぱいになる。

その強烈な匂いからくる懐かしさのあまりクラクラした。実家のキッチンは頻繁にこういう匂いを漂わせていたし、今でもきっとそうだろう。魚を手際よく捌く父の姿が目に浮かぶようだった。

さぁ、できたよと、テーブルに並ぶは海なし県でのハゲのフルコース。刺身、煮付け、お吸い物。その全てにハゲ。嬉しいことこの上ない。美味しい美味しいともりもり食べる私と、対照的に夫は少しずつ噛み締めるように食べている。

「なんでそんなゆっくり食べてるの?」

と聞くと

「こんな贅沢なもの一気に食べたら胃がびっくりしちゃうから…。」

と神妙な顔で答えられた。

「え、実家の普段のご飯なんだけど。」

「富豪かよ。」

なるほど、ハゲ富豪ならぬ魚富豪の私であった。

定期更新再開します

当ブログを定期更新から不定期更新にした途端、あっという間に10ヶ月も経ってしまった。言い訳をするわけではないが、転職活動をしたり引っ越しをしたり労働をしたりでなんやかんや忙しかったのが原因である。

いや、ただの言い訳だな。申し訳ありません。

なぜ再開するかというと久しぶりにこのブログを読んだら面白かったからだ。自画自賛。イエスモチベーション。そして自分の記憶と食べ物のエッセイは結構幸せで満ちていることを改めて感じたからでもある。

そこまで多く書いてきたわけではないが、結婚式、何気ない日常、母の手料理の味など、自分にとって愛おしい記憶がここに残っていることは非常にラッキーなことであると。

そんなわけで、また更新を再開します。前は1週間に2回の更新でしたが、今回からは1週間に1回、月曜日の更新にします。夜の21時あたりかな。楽しんでいただけると幸いです。